川崎大家のリストラ前に不動産で脱サラした話

不動産経営を足掛かりに脱サラしました。 コインランドリー、事業投資等複数の収入の流れを作りつつ 脱サラ生活を謳歌しています。

2010年01月

【自己紹介】

ハンドルネーム:川崎大家

性別:男

年齢:44歳(1975年生まれ)

身長/体重:180cm/62kg

趣味:読書、ランニング、子育て、物件探し、儲け話探し

家族構成:妻、長男、長女

長所:すぐにやってみる、粘り強い

短所:字と絵が下手(小学校低学年並みです)、引っ込み思案、付き合いが悪い

好きな場所:宮古島(毎年行きます)

好きな食べ物:焼肉、すき焼き



【小学校時代】

私は「お金が好き」な小学生でした。


月のお小遣いは500円程度、お年玉は1万円だけ親に上納し、
残りは自己管理。


小学生の私は、「小額のくだらない品物」にお金を使うのが大嫌いでした。


ビックリマン、キン肉マン消しゴム、少年ジャンプ、駄菓子

当時の小学生ならば必ず購入するものも、なぜか私は買いませんでした。


ビックリマンやキン肉マン消しゴムは、何が面白いのか意味不明でした。
(キン肉マンの漫画は大好きでしたよ)

複数の友人からダブったシールや消しゴムをもらうと、それなりのコレクションになったので、遊ぶ上では問題になりませんでした。

ガチャガチャの子供だましの景品にも、まったく魅力を感じません。

少年ジャンプやコロコロコミックは、クラスの誰かに見せてもらえばそれでOK。
わざわざ自分で買おうとは思いませんでした。


家に帰ればおやつがあるので、駄菓子も買いませんでした。


それどころか、親に銀行口座を作ってもらい、お金がまとまると定期預金にせっせと貯金をしていました。


当時の定期預金の金利は5%。

1万円貯金すれば、1年で500円も利息がつきます。

500円といえば、一か月分のお小遣いです。


「世の中にはお金が増える凄い仕組みがあるんだ!!」


小学生の私は、預金通帳を見ながら、一人でニンマリしていました。

ちょっと変わった小学生だったのかもしれません。


小学生の私は、Nゲージ(鉄道模型)とラジコンが欲しかったのでお金を貯めていました。

どちらも1万円単位の代物で、まじめにお金を貯めなければとても手が出ません。


この頃、「日常のつまらないもの(ラテマネー)をセーブしてお金を貯め、より意味のあるものを購入する」という、習慣が身についたと思います。


【中学校時代】

中学も近所の公立校に通いました。

部活動はバレーボール部に所属。

バスケットボール部に入ろうかと悩みましたが、走るのがキツそうなので、隣で楽そうに見えたバレーボール部に入部。

ところが、中学2年より顧問が変わり一転して鬼のような体育会系に・・。


毎日朝7時からの朝練と、放課後の練習。
土日はもちろん、夏休み、冬休みもほぼ毎日練習。
朝から夕方まで、ず~っと練習試合をやりました。

今なら、確実に熱中症でダウンしていますね。

いや~、若かったなぁ・・・。

その甲斐あって、最初は女子にも勝てなかったチームが、
県大会を狙おうかという所まで強くなりました。


しかし、3年生の春。

「全員坊主にしろ」というお達しが顧問から出ました。


坊主=強くなる

意味が分かりません。
坊主にすれば強くなるなら、日本がワールドカップで優勝する日も近いでしょう。

私はこの決定に納得できず、部活を辞めました。


そして翌日から、隣のテニス部に入部・・・。


思い切りは良い方かもしれません。


【高校時代】

高校も地元の公立高校に通いました。


高校では帰宅部。
彼女はいませんでしたが、学校は行くだけで楽しかった。


自転車で学校に行って、早弁して。
昼休み遊んで、午後は自主的に昼寝して・・・。

楽しかったですが、特に何かを成し遂げる事も無く、
毎日何となく生きていましたね。


ちょっと若さを無駄にしていたかも。



勉強はソコソコ頑張りました。
まぁオール4って感じですが。

お陰様で指定校推薦を取る事ができたので、
大学には面接のみで入学決定。

高3年生の冬からバイトしてました。


私が高校時代に唯一成し遂げた事かもしれませんね。


【大学時代】

大学には、片道2時間かけて実家から通っていました。

残念ながら、郊外の理系しかないキャンパス。
当然男ばっかり。
これじゃ彼女ができません。


「こんな所で俺の青春を終わらせてなるものか」

と一念発起?


「女子が居なければ、自らいる所に行こう!!」


という事で、自宅近所のパン屋さんでバイトをしました。
その世界は・・・。


「うぁ~、ハーレムってあったんや~。」


そこは女子が多くて男子が少ない、まさにこの世のパラダイス。

男女比が1:9くらいでしたね。


休み時間や閉店後の片付けなど、話をするチャンスも意外と多く、
無理なく自然に仲良くなれます。


仲良くなれば、飲み会、カラオケのイベントも増え、
みんなで旅行に行った事もありました。


いや~、楽しかったなぁ・・・。

合コンよりも、よほど効率が良いかも。



ここで、初めての彼女もできました。


人間何事も「少しの勇気」と「行動力」が重要である事を学びました。



パン屋のバイトはお勧めですよ!!

残り物のパンはもらえるし、バイトの女の子も頂けます。


年上がお好みの場合には、パートさんを頂くこともできます。
(私はしませんでしたが)


その後、大学院に進学する友人達を尻目に、私だけ学部卒で就職へ。

理由は・・・。


「早く働きたかった」と言う事もありますが、
成績が悪かったため、大学院に進学してもろくな会社の推薦を
受けられない事が確実だったためです。


「座して死を待つなら、討ち死にの方がマシ」


そう思い、自ら飛び出しました。



その結果、運にも助けられ、某外資系コンピュータ会社に
就職をする事ができました。



【就職はしてみたものの】

「よし、どんどん出世して、定年まで頑張るぞ!!」


これからの人生に目を輝かせながらスタートを切った若者も、
徐々に社会の厳しさを思い知らされます。


SEは「キツイ、キビシイ、帰れない」の3Kなどとよく言われます。
実際のところあたっていると思います(笑)。


覚える事が多いですし、新しい技術もドンドン増えて行きます。

近年はシステムにかける予算が減少する一方で、期限と品質の割に、
人員はますます厳しくなっています。

費用の安い外国人SEも台頭していますし・・・。。


コモディティ産業の宿命ですね。


土日、徹夜は当たり前。

毎週日曜夜に、「ガキの使い」を見終わった後、システム試験のために出勤し
ていた頃がありました。


そして、深夜にはお決まりのトラブル。
そのまま月曜の朝から障害対応・・・。


あの時は、精神的にキツかったです。



「自分がなりたいと思う先輩を見つけ、真似をすると良い」


そんな話をよく聞きました。
しかし、周りを見ても、先輩方は自分よりもキツそうに働いています。


「仕事を覚えて30歳を過ぎれば楽になるかな?」


とも思いましたが、40歳を過ぎてもそんな事は無さそうです。

責任が増えるだけで、かえって厳しそうです。



残念ながら、「あぁなりたい」と思える先輩はいませんでした。



精神的な病にかかる人も多く見ました。
でも、すぐに代わりが見つかります。
兵隊なんていくらでも代わりがいるんですよね。
ちょっと悲しくなりました。


ハードワークでも、IT技術そのものが好きならば、もう少し前向きになれるでしょう。
職場には「IT大好き」な人も多く、難しい技術や障害ほど燃えてくるようでした。
ドMな人々ですね。


私はそれほどIT技術自体が好きなわけではありません。
これには入社してから気がつきました。



■サラリーマンなんて嫌だ

「あぁ、俺はこんな仕事をこれから30年以上続けなければいけないのか?」
入社数年で、先が見えたような気がして、既にゲンナリしてしまいました。


・満員電車に乗りたくない
・無理な期限で追い立てられるのは嫌
・夢にまで仕事が出てきて、夜中に起きるのはもう嫌
・深夜のトラブル電話は勘弁してくれ(そんな契約したか?)
・なんで、日曜の午後から憂鬱にならなきゃいけないんだ。
・何でコマンドもマニュアルも英語なんだよ!!


一生サラリーマンなんてもうウンザリ。
かといって、働かなければ生きて行けないし・・・。


私は現状を変える方法を模索していました。



【どうすれば良いのさ?】

では現状を変える具体的な方法は?

私は考えました。



■自分の考え方を変える?


「大人とは働くものであり、仕事とは厳しいもの」

仰る通りですね。


だから、私の考えは非常に甘い、子供じみたものだと思います。


「会社員として成功するように考え方を変えよう」と、
自己啓発本や社長さんの本なども読みました。


でも・・・。


なんだかお説教臭いんですよね。


そもそも「会社員として成功したければ・・・」という切り口だから、
当然やりたくない事ばかりが書いてある。


やっぱり嫌なものは嫌です。

そう簡単に精神を変えることはできませんでした。



■転職すれば何かかわる?

これは根本的な解決にならない事は容易に想像がつきました。


他のIT企業なら状況は同じで給料が下がるだけです。

他業種に転職しても、サラリーマンである以上強制労働はつき物で、
何の解決にもなりません。

そもそも、自分が何の仕事をやりたいのか想像もつきません。


あやふやな気持ちで現状から逃げるくらいなら、今の職場でまじめに働くべきですね。



■禁断の出会い

そんな時、禁断の書に出会ってしまいました。


「ロバート・キヨサキ著  金持ち父さん貧乏父さん」


はい、もうお約束ですね(笑)。


通勤電車で居眠りもせず、一気に読破した事を覚えています。
当時の私にはかなりの衝撃でした。



「おれはラットレーサーで一生このままだと?」
「一生まじめに働いて、死なない程度のお金を得て、そこそこの人生で終わる??」



改めて現実を突きつけられた感じで、ショックでした。


「現状を変えるには投資しかない、資産を買わねば!!」


その時強く決意しました。


でも、いきなり「不動産投資」といわれても、具体的な方法が思いつきませんでした。



【株式投資を始める】

そこで、まずは紙の資産から始めました。

昔からお金大好きだった私は、入社後すぐに持ち株会に入りました。


それがキッカケで株に魅力を感じ、「ミニ株」で他の銘柄も細々売買していました。


当時はITバブル前夜。
今よりも株式市場は熱かったです。


株式関連の書籍を読み漁り、有料セミナーにも通いました。
実際にある程度の収益も得ました。
一時的に100万円単位で儲けていましたね。

しかし、ITバブルの崩壊後、株式市場は長期低迷に・・・。
持ち株達もそれに合わせて値下がり・・・。

結局株は、「市場の流れ」に左右されます。

いくら割安に思える株でも、株式全体の水準が下がれば、
割安を判断するルールが変わってしまうのです。


一旦値下がりしても、資産背景がしっかりしている会社ならば、
再度浮上する可能性もありますが、果たしてそれはいつ起きるのかわかりません。

来年か、5年後か、10年後か、30年後か???


当時の私は、長期保有と言って、単なる「塩漬け株」をせっせと作っていましたね。


株式投資で、長期間にわたり安定した利益をもたらす事は大変難しい事を、
身をもって体験しました。


結局通算では100万円以上の負けになりました。


「一発当てて勝ち逃げ」でもしない限り、株だけでサラリーマンを卒業する事は出来そうにありません。



【不動産投資との出会い】

実は、不動産投資自体はかなり前から興味を持ち、行動をしていました。


2003年、私が28歳の頃です。

藤山勇司さんの著書に出会ったことがキッカケでした。


『サラリーマンでも「大家さん」になれる46の秘訣―実践版 利回りがすべてのアパート・マンション経営入門 (実日ビジネス)


金持ち父さん貧乏父さんを読んで以来、「いつかは不動産」という思いは常に持っており、具体的な方法を探していました。


そんな時に出合った藤山さんの本には、不動産投資を始める具体的なアプローチの仕方が書かれており、すっかりのめり込んでしまいました。



その後、有料セミナーや他の書籍を読み漁って学習。

藤山さんの本で薦められていた北海道を中心に、実際の物件探しも始めました。

北海道の区分所有物件を実際に見に行き、手付金の支払いをした事もありましたね。


当時の私は、今よりも「若さゆえの勢い」がありました。

なかなかの行動力ですね。


でも、結局この物件は購入しませんでした。

直前でビビッたの半分、冷静になったのが半分でした


当時、既にある程度の貯蓄はあり、区分物件ならばキャッシュで購入する事も可能でした。


しかし、購入すれば全ての資産を吐き出す事になります。



・もし失敗したら?
・本当に北海道の物件の経営ができるの?
・修繕費用は大丈夫か?
・そのリスクに比べ、月に数万のキャッシュフローってどうなのさ?


自分の中で、答えられない疑問がいくつもあります。



一方で『実地訓練も必要では?』という心の声も聞こえてます。


現金購入ですから、最悪失敗しても出した資金だけで済みます。
独身の実家暮らしですから、資金を飛ばしても問題はありません。


私の心は揺れ動きましたが、「不動産投資は時期尚早」との決断を下し、
株式投資へと転進しました。



【FPを夢みる】

株式投資の勉強をする中で、ファイナンシャルプランニングという言葉を知りました。


お金は、目的の為に使ってこそ初めて意味がある。

では、其の目的を達成するために幾ら必要か?


それをアドバイスするのが、ファイナンシャルプランナーの仕事です。



自分はサラリーマンを卒業したいと思っています。
では、卒業するには幾ら必要なのか?
分からなければ、卒業する事はできませんよね?。


ファイナンシャルプランニングはいわば人生の設計図を作る事です。


・自分がしたい事は何か?
・それを何時するのか?
・必要な費用は?

どうすれば資金調達ができるのか?


これらを主にファイナンスの観点からアドバイスするのが、
フィナンシャルプランナーの仕事です。


私はこの仕事に強い興味を持ち、早速資格取得の勉強を始めました。


分厚いテキストでしたが、自分でも驚くほど内容が頭にスイスイ入ります。
勉強がとても面白く、まったく苦になりません。


IT関連の勉強では得られない感覚でした。


自分が好きな事、興味があることは、会得するのにココまで違うものかと
改めて気付かされました。


「好きこそ物の上手なれ」


まさに其の通りですね。
IT業界よりも、コチラの方が私には向いていると思います。

おかげさまで、一発で2級FP技能士の資格を取る事ができました。


この頃、結構本気でFPへの転職を考えていましたよ。
毎月FPの勉強会に参加し、現役FPの方に実務のお話を聞いたりしていました。



でも、ココで知った事は「FPはそんなに甘くない」という現実。

日本では、純粋な相談業務だけで生計を立てている人が非常に少ないのです。

FP以外からの収入があり、月に10万程度の収入を得るつもりならば良いのですが、
FP一本で食べるのは至難の業です。


危険が大きすぎると思い、本業として転職する事はあきらめました。


でも、「サラリーマンを卒業できたら、FP+αでやっていきたい」という夢は
この頃出来ました。


漠然と将来の目標が出来た瞬間ですね。



【私に失明の危険性有り?】

コンタクトレンズを作るため、眼科に行った時の事です。

「あなた、緑内障の恐れがあるので、視野検査をした方がよいですよ」

医者が言うには、私の目は緑内障を発症しやすい構造をしているそうです。


突然の宣告に頭が真っ白になりました。


緑内障とは、徐々に視野が欠け、最悪失明するという恐ろしい病です。
そんな病気の可能性が私にあるなんて・・・。
早速視野検査を行いましたが、今のところ問題なし。
でも、今後は定期的な視野検査を勧められました。


自分にも、こんな健康のリスクがあるとは思いませんでした。


「楽しみは定年後」


当たり前のように思っていましたが、意外に危うい事に気がつきました。



【友人の死】

このころ、10年来の友人が亡くなりました。
ある日突然、くも膜下出血に倒れ、そのまま帰らぬ人に・・・。
幼い二人の子供と奥さんを残し、さぞかし無念であったろうと思います。
まだ30代の若さで・・・。


自分にとって「死」はまだまだ遠い物のはずでした。
しかし、人は意外にあっさり亡くなってしまうものですね。
明日の事は分かりません。
我慢をしている間に、人生が終わってしまうかもしれませんね。


『後悔しないよう、今を懸命に生きる』


月並みですが、友人の死を通して私は強く感じました。



【育児休職を取ってみた】

妻とは新入社員研修で知り合い、2005年に結婚をしておりました。


そして2008年。
念願の子供を授かりました。


妻とは以前から、「子供が出来たら二人で育児休職を取ろう」と話をしていました。

子育てなんて、一生に一度有るか無いかの一大イベントです。
仕事は1年休んでも、また来年出来ますが、子供が0歳なのは生まれた年だけ。
この時間は二度と戻って来ません。


「子供が出来たらせめて1年程度は二人で子育てを楽しみたいね」
と話していました。


幸い日本には「育児休職」という制度があります。
これを使えば、大手を振って休職を取る事ができます。

社内の状況を調べたところ、男性でも取得している人がいました。
育児休職を取得しても、その後のキャリアには問題がなさそうです。


また、我が家には1年間休職をしても大丈夫なだけの貯えもありました。
幼少時代からの貯蓄癖に加え、妻も倹約家だったので、
結婚後貯蓄スピードは2倍になっていました。


知り合いのFPにアドバイスを受け、育児休職を取得しても
資金面の問題が無い事も確認していました。



「やりたい事は今やろう」

「人生を変える1年にしてやろう」


ちょっと怖いところもありましたが、夫婦で育児休職を取る事にしました。



1年分の給与で買った貴重な時間、無駄にするわけにはいきません。

私はこれまで、やりたくても出来なかったことを色々とやる事にしました。


家事の全般の習得、フルマラソン、腹筋を割る・・・。


どれも貴重な体験になり、今後の人生の財産になりました。

そして、不動産投資も本格スタートしました。



その後、2012年にも二人目の子供を授かりましたが、
迷うことなく2人そろって2度目の育児休職を取得しました。



■不動産投資

この頃、加藤ひろゆきさんの

『借金ナシではじめる激安アパート経営 不動産投資でつとめ人を卒業スル方法(CD付)

に出会い、再び不動産投資に熱が入り始めていました。


再び不動産関連の書籍を読み漁り、セミナーや有料商材も購入して、勉強に励みます。

「大家さん学びの会」にも入会し、現役大家さんにあれこれ質問をしたりしました。


そして、ある程度知識をつけたら、ひたすら物件見学。
毎週のように行っていましたね。


「なんとしてもこの1年で不動産を物にしてやる」

「資産を買って、サラリーマンから卒業してやる」


私には強い決意がありました。



そして、2009年11月に埼玉県入間郡に1棟目のアパート(築19年 2k×4戸)を購入し不動産賃貸業に参入。

念願の大家さんになり、サラリーマン卒業への第一歩となりました。


その後順調に物件を追加。


2010年1月に神奈川県横須賀市に2棟目のアパート(築22年2DK×4戸)を購入。

2012年10月に神奈川県横須賀市に3棟目のアパート(築9年1DK×6戸)を購入。

2013年10月に神奈川県中郡に4棟目のアパート(築17年1K×6戸)を購入。

2014年4月に千葉県船橋市に5棟目のアパート(築27年2DK×6戸)を購入。



気が付けばフリーキャッシュフローが給与所得を超えていました。

そして、不動産を通じて知り合った仲間も増えていました。


いわゆる「投資家」とか「経営者」のような人々です。



■基準が変わる

知り合いの種類が、サラリーマンから
「投資家」とか「経営者」のような人々に代わるにつれ、
自分の中の意識も変わってきます。


彼らとの話は本当に楽しいです。

そして前向きです。

行動が止まりません。



しかし私はサラリーマン。
行動を起こすには時間が少ない。

土日や深夜の時間だけでは限度があります。

それでもここまで不動産を増やし、
それなりに成果も出てきました。



でも、会社に使う時間を自分の行動に使えれば
もっと大きな成果が得られるのでは?



こう考え始めるともう駄目ですね。
残念ながら会社へのモチベーションは
下がります。


これ以上会社に行くことは、私にとっても
会社にとっても不幸です。




そして、2014年6月。

会社から辞めろと言われる前に
自ら退社しました。



■今後の目標

2019年11月時点の目標です。


まずは不動産。
入替えをしながら、今後は資産性の高い物(立地のイイもの)にもシフトしたいです。
あとは戸建賃貸をやりたいです。



次に事業展開。

2014年にコインランドリーを1店開業させており、
その後2018年に2店舗目を開業。

その他太陽光発電やコインパーキングもやってます。

リアル店舗経営はまた違った面白さがあるので、他の事もやってみたいなぁ。



情報発信もやって行きたいです。

不動産、コインランドリー、退職等と言った
私の経験を、求める人がいれば提供したいです。

一時期何も発信しなくなったら、明らかに出合いや情報が減りました。
世の中Giveして誰かに必要と思われないとダメですね。
特に、会社員を辞めて社会との接点が薄い私にはなおさら必要な行為だと思います。


そして、子供や家族との時間を大事にしたいです。

子供は現在7歳と11歳。
子供たちが子供らしい時間はおそらくあと少しでしょう。

一緒に過ごす時間を大切にしながら、
本人たちの好きな事、得意な事を見つける
手伝いができれば嬉しいですね。


「好きこそものの上手なれ」


見つかれば、楽しい人生が待っているはずです。


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